親を亡くす年齢 平均は思っているより早い!【親と離れて暮らす子供必見】

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親孝行したいと時に親はなし

親孝行したいときに親はなし」とはよく言ったものです。

私はすでに両親を亡くしていまして、結局、親孝行らしいことは何もできませんでした。

両親のいずれも天国へ旅立つ時に立ち会うこともできず、残念な思いをしました。

子どもが親を亡くす年齢の平均は、父親は平均年齢は39.1歳、母親は平均46.3歳です。

思っているよりも早いと思いませんか?

皆さんには少しでも後悔のないよう、特に親と離れて暮らしている方は

親を亡くす年齢の平均までに、会いに行くべき理由について、私の経験を踏まえて紹介したいと思います。

また、通夜に起こった、母のお別れのあいさつのような不思議な体験についても紹介いたします。

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目次

親を亡くす年齢の平均は思っているより早い!

親を亡くす年齢

少し古いデータになりますが、2007年に第一生命経済研究所が中高年者を対象に実施したアンケートで、親を亡くした年齢の調査結果が出ていました。

ゆうひ

詳しくは、「中高年者の遺産相続に関する調査」をチェックしてみてください。

これによると

  • 父親を亡くしたのは、「50歳以上」が3割、平均年齢は39.1歳
  • 母親を亡くしたのは、「50歳以上」が半数で、平均年齢は46.3歳

となっていました。

両親のいずれも50歳以上が一番多いのは、なんとなく分かるような気がします。

平均年齢は父親が39.1歳、母親が46.3歳思ったより早いので、比較的若いうちから気にかけておく必要がありますね。

ゆうひ

私の場合は、父親は私が36歳、母親は私が55歳の時に亡くなりました。


私と両親との関係

親と子供

父は頑固でお酒好きな人

私の父は、子どもが言うのも何ですが、人一倍まじめな性格で、曲がったことが嫌いな頑固な人でした。

お酒が好きで、毎晩晩酌をしていた印象があります。

普段は無口でほとんどしゃべらないのですが、怒ると人が変わったようにカッ!となって、手や足が出てきます。

なので、小さい時は、すごく怖い人という印象がありました。

そんなこんなで

高校卒業後、私は実家を離れて一人暮らしを始めましたが、お盆と正月には毎年実家に帰っていました

帰省した際もほとんど話をすることはなかったのですが、それでも成人してからは、父と一緒に飲んでいました。

当然、父とはあまり会話はありませんでしたが、私が帰るとお酒を注いでは嬉しそうに一緒に飲んでいたのが思い出されます。

ゆうひ

今思うと、父の幸せなひと時だったと、親になってしみじみ感じています。

母はよくしゃべる気の利いた楽しい人

母は、社交的でよくしゃべる気の利いた人でした。

交友関係も広く、誰とでも気軽に話せる印象があります。

たまに帰省すると、お風呂上りには、母とお茶を飲みながら遅くまで色々な話をしていました

ほとんどは母がしゃべっているのですが、内容も、近所の話題から兄弟や親せきの動向など、実に様々な話をしてくれました。

なので、実家にいなくても、田舎の出来事が手に取るように分かり、いつも楽しく聞いていた記憶があります。

ゆうひ

子どもと話す時間は、母にとっては非常に大切な時間だったたのかなと思います。


病気で両親と最後のお別れができなかった体験

感謝

病気で突然訪れた父との別れ

私が36歳の夏、結婚して子供を連れて実家に帰ったお盆の昼食の時です。

母から、父が「最近疲れが取れなくなった、年のせいかな?」と言うようになったと聞きました。

当時、父は79歳でしたので、無理をしないように言った記憶があります。

ゆうひ

妻も、飲みすぎに注意した方がいいと、アドバイスをしていたようです。

それから1か月後の日曜日の夜、実家から電話がありました。

9月のはじめから父が「がん」で入院しているので、近いうちにお見舞いにくるように言われました。

この時私は、妻と相談して、1週間後の日曜日に見舞いに行くことを決めました。

そして、5日後の金曜日の早朝です。

突然実家から電話があり、「父が今亡くなった」との知らせを受けました。

入院から3週間、あっという間の出来事だったようです。

私もまさかの連絡に頭が真っ白になって言葉がでなくなってしまいました。

病院から「急変」の連絡を受け、母が駆け付けた時には、すでに天国へ旅立ったあとでした。

ゆうひ

誰にも看取られることなく逝ってしまいました。

私は結局、実家で父の亡骸と対面することになりました。

最後のあいさつもお礼も言うことができず、大変、残念で悔やまれる思いをしました。

痴ほうになった母との別れ

15時間かけて日帰りお見舞いを敢行!

母は、2014年から九州の妹の家で暮らしていましたが、2年後の2016年からは施設暮らしになっていました。

九州へは我が家から6時間以上かかる距離で、中々、会いに行くことができませんでした。

そして、2018年の10月のある日のことです。

妹から病院に入院したとの連絡を受け、急きょ母に会いに行くことにしました。

話を聴くと、痴ほうが始まっているとのこと。

父の一見のこともあったので、少しでも早く会いに行った方がいいと判断しました。

ゆうひ

この時は、車で片道6時間以上かけて日帰りでお見舞いに行きました。

お見舞いの当日は、妹と一緒に病院へ行く予定でしたが、私は1時間ほど早く着いたので、先に病室へ行くことにしました。

4年ぶりに母と再会しましたが、母は寝ていたので、しばらく座って寝顔を見ていると、段々と小さい頃の思い出がよみがえってきます。

ほどなく、母親が目を覚ましたので、「おかあさん!」と声をかけましたが、最初は「どなたですか?」との返事。。。

やはり、痴ほうが始まっているのかと思いきや、時々思い出しては、私の小さい時の思い出話をしては眠りに着くということを繰り返していました。

それでも、何度も目を覚ましては、涙を浮かべながら一生懸命にしゃべっている姿を見ると、昔、母と一緒にお茶を飲みながら夜遅くまで話し込んでいた頃を思い出し、私も涙があふれてくるのでした。

ゆうひ

もっと早くに来ればよかったと後悔しましたが、それでも、今回無理をしてでも会いに来て良かったなあと、後になって思いました。

そのうち、妹も病室へ駆けつけてくれ、私と母との2人だけの1時間の面会が終わりました。

妹とも4年ぶりでしたので、久々に兄弟で母の事や実家のこと、お互いの家族のことなど、1時間ほど話し込んでしまいました。

ゆうひ

この時、私は初めて「スターバックス」へ入ってコーヒーを飲みました。

そんなこんなで

車で往復13時間、病院とスターバックスで2時間、合計15時間の長いお見舞い旅行が終わりました。

さすがに50歳を過ぎた体には堪えましたので、次回は、1晩ゆっくりと泊まって帰ろうと決心をしました。

別れの時は突然やってくる

翌年の2019年、ゴールデンウィークには母のお見舞いに行こうと、考えていました。

しかし、4月に入った頃、妹から電話があり、母が結核になっているらしいとのこと。

高齢で体力が落ちると発症するケースが多いということで、感染を避けるため、見舞いは先延ばしとなりました。

特に旅行の計画もないままゴールデンウィークに突入して数日した5月2日の朝のことです。

妹から母が亡くなったとの電話がありました。

今回も、突然の出来事で、言葉が出なくなりました。

ゆうひ

こんなことなら、ゴールデンウィークに入って直ぐ、会いに行けばよかったと、またまた後悔してしまいました。

どうも、急だったようで、誰にも連絡できずに旅立ってしまいました。

明日、葬儀を行うとのことでしたので、今回は妻と2人で九州へ行くことにしました。

お昼の2時過ぎに家を出て、途中姉と合流し、九州の葬儀場へは夜の9時過ぎの到着でした。

最後のお別れに来た?不思議な体験を紹介

葬儀は翌日ということで、この日は姉と私と妻、妹の家族(旦那さんと子供1人)の6人でお通夜となりました。

ゆうひ

妹の旦那さんと子供は、家に帰って休まれるとのことで、兄弟3人と妻で夜を明かすことになりました。

喪主である妹の希望で「家族葬」にしていましたし、お坊さんも呼ばないとのこと。

母方の親戚の方々も明日、到着予定でしたので、今夜は姉と妻と私の3人が母の枕元で過ごすことにしました。

こういう時、女性たちは永遠と話が尽きないようで、私は一人、母を見ながら晩酌をしている状況でした。

夜も更けたころです。

妻がジュースを買おうとしたとき、不思議なことが起こりました。

トイレの手前にコーヒーやジュースが無料で飲めるカップ式の自動販売機が置かれていました。

そして、妻が自動販売機の前でジュースを買おうと立ち止まって選んでいるときです。

なんと、隣の自動販売機がカップが出ていないのに急に作動して、ジュースが出てきたそうです。

当然、ボタンも押していないので、急に作動したので、びっくりして戻ってきました。

みんなは、「そんなことあるわけがない!」と言いながら、自動販売機を見に行きますが、自動販売機は、何事もなかったように、静かに鎮座している状態でした。

葬儀場では不思議なことが起こるものだなあと思ってしまいました。

ゆうひ

後から考えると、母の最期のお別れのあいさつだったのではないかと思っています。


まとめ:離れて暮らす親が病気や痴ほうになる前に会いに行きましょう

親に会いに行く

私は結局、父も母も、最期のお別れをすることができずに旅立ってしまい、残念な思いをしました。

それでも父とは、毎年お盆と正月に酒を酌み交わし、その後、母とは、寝るまで、お茶を飲みながら楽しい話をして過ごしたことが思い出されます。

ゆうひ

父親を亡くす年齢は39.1歳、母親は46.3歳と思ったより早いですよ。

母も、晩年は遠くへ行って中々会うことができませんでした。

それでも亡くなる半年前には病院で面会することができ、一緒に楽しい話をすることができたことは、唯一の親孝行ができたのではないかと思っています。

そんなこんなで

離れて暮らして中々会えない両親がいる方は、ちょっとだけ頑張って会いに行ってみてはいかがでしょうか。

きっと、いざという時にお別れを言うことができなくても、いつまでも思い出に残る出来事として胸に刻むことができると思いますし、両親への親孝行にもなると思います。

なので、次の週末は、少しだけ勇気を出して行動に移してみてはいかがでしょうか。

\ 大切な人へ会いに行ってみる! /

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